社交不安・緘黙のアウトプットブログ

あらゆるもののアウトプットに挑戦

人がお酒を飲む理由と、発達障害の明暗を分けるのは喋れるかどうかだという事について

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人は何故お酒を飲むのか、そして、発達障害でも喋れないというハンデが一番幸せに影響しているのではないかと思った。

 

人がお酒を飲むのは幸せの瞬間が欲しいせいなのではないか?

健康に気をつけていると言いながら、もう、お酒を飲んだりしてしまっています。

 

寂しさを埋める手段がない事に気がついてしまった。

幸せな瞬間を求めて人は酒に逃げるのかもしれないと思った。


でもCMみたいにお酒飲めなくて、ちょっとずつしか飲めないし「ぷはぁ〜うめぇ」とかいう感覚は一回も味わったことがありません

にげぇ、不味い、て感じで呑み続けて、ちょっとずつ一時間くらい掛けて呑んで、酔ってきて気分が軽くなっていく感じです

 

 

同じ発達障害でも喋れるか喋れないかで幸せ度が違う

ネガティヴな事ばかり言ってても仕方ないですが、YouTube発達障害と言ってる人は大抵自分よりは幸せだったり成功していると思ってしまう

人は社会的に自分がどの位置にいるか、知りたがっている生き物でそのアンテナは自然に発動してしまうのかもしれない

人間はそんな性を背負っている生き物なら
産まれながらハンデを背負った人にとってこの社会は地獄なのだろうか?

発達障害で幸せそうな人達と
僕との違いで思ったのは
発達障害でも幸せそうな人達は、その多くは、楽しそうに喋っているという事です。

喋る事で自然と人間関係が膨らんで、彼女や妻や子供が出来たり、自己成長に繋がるキッカケも増えるんだと思う。

発達障害に喋る事が苦手というプラスアルファーが加わる事で大分、幸せのクオリティーが変わってしまうのではないか?

人との関係が人間の人生で一番大事だとしたら話すのが苦手な事はハンデとして大きすぎます

緘黙症が治らない人はそれだけで人生を這い上がるのが難しくなっていると思う。

ネガティブな事ばかり言っても仕方が無いから

ネガティヴな事ばかり言っていても仕方ないので、今後、自分が出来る事を頑張ろうと思います

例えばYouTubeを見てヨガをしたり、バッティングセンターに行って動体視力を上げソフトバレーに超人となり現れようと思います。

そして一人カラオケというものに挑戦したりすることが出来る日も来ると思っています。

 

まとめ

健康に気を付けていすぎてストレスを貯めるのもよくありません。

人と比べてしまう人間の性があったとしても、その枠を超えるチャンスは誰もが持っていると僕は思っています。