僕は今までネガティブシンキングの申し子のような男だった。
困難に押しつぶされ、日々の生き辛さを、僕は運が良くない、世の中は不条理で満ち溢れていると嘆いて日々を過ごしていた。
しかし、困難やトラブルを前にして、逃げてしまうことは簡単な事だと思う。
そこをどうしたら出来るようになるか?と考えることが大事というような事が、インターネットなどを見ても記載されていたりするので見習おうと思っている。
困難な野望を敢えて自分の中に掲げた
昨夜辺りからある野望が僕の中で生まれた!
「社会福祉法人のソフトバレー6対1の1側で勝利したら僕は自信を得て緘黙を克服出来るのではないか?」
自分でも、恐怖で身もすくむような話だ。ただでさえ小心者の僕がそんなオファー自体を出来るだろうか?
しかし、出来ない事を考えるのではなく、出来るかもしれないを考える、出来なければその時に分かる。
そして、今日も、キツク、辛い仕事へと行った。
自分が何故、生き辛いのか、それは障害の連鎖?
僕は医者から名言された訳ではないが、自己判断でおそらく
などの障害があると思っている。
喋れないのと、人が怖いのと、脳が他の人についていけない。
それらは、あるいは、相互作用によって僕の中で誕生していったものなのかもしれない。
例えばこんな感じです。
人についていけない気がする(境界知能・発達障害)→人が怖くなる(社交不安)→人と話せなくなる(緘黙症)
一つの障害の誕生により、連鎖して、僕という人間を生きづらいものにしているのではないか?と最近は思っている。
キツイ労働以上の困難な野望を自ら掲げた事で乗り越えられた!
今日、仕事をしていて、いつもならもうダメだと思ったときに
「こんなんじゃ6対1の試合に勝てるわけがないだろ?」
そう思ったら力が出てきたのです。
「自分はまだ限界値を出していなかったのか!」
そう感じました。
1人でレシーブ、トス、スパイク、までこぎつけるには、それなりの技術が必要だと思うが、それと同時に相当の体力が必要なものです。
僕は、既にある程度の実力をつけつつあったので、1対1で、そういった動作をやり込んだりしたとき、数回それらの動作を繰り返すとかなりの体力を消耗する。
15点マッチだとしたら、試合に勝つには、一人でその動作を何回も繰り返しつつ、ミスも少なく、強打を打ち続けるには体力も必要だ。
そう思ったら、この仕事で疲れているようでは、6対1の試合で勝利することは出来ない。
仕事以上の困難を想像して、今の仕事のキツさを、克服した、一日だった。
まとめ
相変わらず、人が怖かった
「お疲れ様でした」
も言えないで、帰った。
一人の優しい人はあっちから、言ってくれるので、言えた。
こんな僕は、見下されて当然の男だし、努力を放棄して、おっさんになった。
しかし、まだ、燃える闘志が自分の中にあるのを感じている。
6対1の試合は実現するのか、それは分からない。
しかし、僕は、本当に勝てるつもりで勝負するつもりだ!