社交不安・緘黙のアウトプットブログ

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今の社会は場面緘黙の治療が確立していない?【福祉のスタッフですら知らない人が多い?】正しい治療方法を広めるにはどうすればいいのか考えてみた!

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場面緘黙は、発達障害ということになっているけど不安症でもあるという。

学校教育では「情緒障害」に分類されて特別支援学級に入ることもあるようです。

 

なんだか、複雑で良く分からなくなってしまいますが、SNSをチェックしているとやはり、福祉のスタッフですら、正しい支援をしていないと思われる事を感じさせる投稿が複数発見された!それらの投稿も挿入してみました。

 

自分の経験上も緘黙は放置されるだけ、という感覚がありました。放置されるだけならいいけれど、軽薄や見下されてしまう一因になるという印象です。

 

僕も悔しいので、ブログ活動を自分なりに頑張ろうと思って今日も、記事に挑戦しました。

 

福祉のスタッフですら理解が無く絶望する気持ちになる緘黙当事者もいる!?

福祉のスタッフなら「緘黙」を知っている。そう思う人も多いと思う。

しかし、twiiterなどの投稿を見ているとそうとも言い切れないようだ!

 

自分も、福祉の世界で活動している時、「緘黙かもしれません」と言っても、ピンと来ていない感じのスタッフの人が多かったと思う。

 言ったとしても「自分を病気だと思い込むのは良くない」とか「そうかもしれないけど、どうすればいいんですか」

のような感じで、言ったとしても、具体的に支援される空気にはなりませんでした。

 

緘黙の問題は話せなくなるだけではないとも言われている。

緘動という症状や、不安や緊張や、抑圧症状などに悩んでいる人が多いと言う。

話せないだけではなく、その他の動作も抑制されてしまうので、自分らしく自然に振る舞うことが出来なくなる。

 緘黙の改善には

  • 適切な支援の介入
  • 安心できる環境を整える事

 

などが大切だと言われているようですが、それを実行できる福祉の施設は日本に幾つあるのだろうか?

 実際、僕も接客の場に回されたり、人前で声を出すような事をやらされようとして、声が小さいことなどが責められたり、作業のパフォーマンスが悪い事を責めれれていた気がした。

人がどう思う以上に自分てこんなに喋れないんだとか、仕事出来ないんだ、と感じてショックだった。緘黙の支援を知っている人ならこういった支援にはならなかったのではないか?と感じた。

 twiiterによる声

 

 

どうして緘黙症の人は話せなくなってしまうのだろうか?

一例としてこのような原因なども考えられますが、複雑な要因が人によってあると思う。自分の場合、知的にも問題があったと思うし、発達障害的なものと、抑制的な気質など色んなものが合わさって結果的に人との会話に参加出来ないという状態になってる感じがする。

二次的な障害で陥りがちな、社交不安、対人恐怖、なども余計に話しずらい要因になりがちな印象を個人的にも持っています。

  • 抑制的な気質(不安や緊張を感じやすい)
  •  感覚的な過敏さ
  • 他の不安症や発達障害の影響
  • 言語能力や知的能力の問題

 行動が抑制されるのは、偏桃体が過敏だからという説もあるようですね。

 

 

どうすれば緘黙症が正しく治療されるのか?

高木潤野先生という方が緘黙はニーズが少ないと思われているせいで、専門家が少なくなっているから、積極的に一人一人が相談したり、情報発信するのが大切というようなことを言っていた気がする。

 

 

高木先生が言うには、緘黙は合理的配慮を得られる事が法律でも決められているという

 他の障害と同じように、支援される障害の一つということだと思う。

 

合理的配慮とは障害のある方々の人権が障害のない方々と同じように保障されることや、教育・就業・その他社会生活においても平等に参加できるよう、それぞれの障害特性や困りごとに合わせておこなわれる配慮のことをいうようです。

 

緘黙症は相談件数が少ないせいかニーズが少ないと思われているせいで、緘黙症に詳しい専門家があまり居ないようです。

合理的配慮をされる権利があるのに、支援の専門家が少ないことで福祉の現場ですら配慮されていない気がします!

 

例えば、「挨拶は基本だから」と僕も言われていました。

でも、緘黙症があったとして、合理的配慮されるならば、挨拶出来ない、ということも理解されて良かったのではないか?

と思うのです。

 

このように、福祉の世界ですら理解されている場が少ないので、緘黙症の人や話すのが苦手な人が大変さをアピールして世に広める事で、合理的配慮をされるように頑張るしかないのかな?と思いました。

 

まとめ

当時、自分が何故、話せなかったのか分からなかったけど、インターネットでSNSや情報サイト、ブログなどを見て、少しずつ分かってきた気がします。

 

緘黙症は合理的配慮される権利のある障害であるにも関わらず、理解者が少ない事でほぼ合理的配慮されずに、放置されていたり、話さない事を不審がられていたりして、正しい支援や環境を与えられていない現実を感じました。