自分の人生を振り返るシリーズを作成しようと思って頑張ってます。
専門学校を出て、1社くらい地元の企業の面接をしたりしたけど、落ちたみたいで。
集団面接みたいな時に面接した会社から家に電話があった事もありました。
しかし、不安になってしまい、電話に出ませんでした。
親が電話に代わりに出たのです。
電話出る?て聞かれて怖くて出ることが出来ませんでした。
今思うと、ひょっとしたら会社に入れたかもしれません。
まあ自分がまともに仕事出来たかはかなり怪しいですけど・・・
ハローワークにもいつしか行かなくなり、引きこもってしまったのです、その時の記憶を呼び覚ましたけど、あまりにも、我ながらヤバい人なんで見下すことは禁止です。
- ネットで日記を見た人妻との出会いでメールや電話をして孤独から脱出
- 精神保健福祉センターの女性相談員さんに恋しちゃったかもしれない
- ひきこもりの集う通所型フリースペースを紹介される
- ビデオチャットで孤独を癒そうとしてもコミュ障と引っ込み事案だった
- 派遣の仕事3日でクビ(面接しようとしたら派遣会社に登録していた?)
- まとめ
ネットで日記を見た人妻との出会いでメールや電話をして孤独から脱出
ひきこもっていた期間、自分が何をしていたかというと、まず、ネット上で日記みたいなものを付けていた記憶があります。
多分、孤独に耐えられなかったんだと思う。
知能が低いので滅茶苦茶な内容だったと思う。
その日記はもうこの世から消えてると思うので見返す事が出来ないんで分からないけど。
確か、髪を自分で切った、とかそんなような事を書いていたら、それを見た人妻の人が興味を持って、文通や電話などをしていた時期があります。
その人は、ブルーハーツとかパンクなものが好きで、本も好きな人だった。金持ちと結婚してそうな関東圏に住んでる人だった。
鎌倉に住んでいた記憶があります。
その関係のお陰でかろうじて完全な孤独では無かったけれど、自分だけが世界が違うし、自分を客観視出来る状態ではなかった。
現実の世界で作業所などへ通いつめるうちに自然と関係は無くなってしまっていた。
精神保健福祉センターの女性相談員さんに恋しちゃったかもしれない
ひきこもり生活、このままでは漠然とマズイと思っていた。
インターネットを見ても、引きこもりだった人が働きだしたりする、夜はこのまま孤独に時が過ぎていく恐怖や虚しさを感じることもあった。
どうすればこの状態を打破出来るのか、自分には考えることも出来なかった。
インターネットを見たら、引きこもりでも病院に行く人が多かった。
それを参考にして、僕も、勇気を出して総合病院へと向かった。
何科に行ったか、今となっては覚えていない。
その科の医者には「なんでここに来たか」というような事を聞かれたと思う。
「人付き合いが苦手」みたいな事を言ったら、なんで来たんだ?て顔してたような気がする。
そして、紹介されたのが、精神保健福祉センターだった。
そこに行き、アポを付ける事になんとか成功した。
そこで現れた相談員の人は良い感じの女性だった。
しかし、ひきこもりで理想やナルシズムだけが上がって僕には美人には思えなかったが感じが良い人だなと思った。
しかし、個室でいざ、面談となると、なかなか話すことが出来なかった。
自分が話すのが遅いせいか、1時間以上は掛かっていた気がする。
この最初の相談員さんが一番、親身になってくれたと今になっては思う。
この相談員さんの思い出としては、本を貸してくれた事です。
一つは、家裁の人、という漫画だった。
ひょっとしたら、相談員さんは、この本を読んで、この相談員という仕事を選んだのかもしれないと思った。
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もう一つは村上龍の13歳のハローワークだった。
そのころ20歳を超えていたにも関わらず、13歳というタイトルが付いてるのは屈辱的にも感じるけど、本を貸してくれる、相談員さんに愛を感じて、ひょっとして、僕のことを好きなんじゃないか、とか妄想に陥る事すらあった。
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異動したときは辛かったです。せっかく良い感じの人だったのに。
そのころ、遠慮して、頻繁に相談を組まなかったり、迷惑を掛けてはいけないとか思うほど、謙虚だったことを後悔している。
向こうが仕事でやっているということすら、分かってないほどの状態でした(/ω\)
ひきこもりの集う通所型フリースペースを紹介される
精神保健福祉センターの相談員さんの紹介で、ひきこもりの集う通所型フリースペースへいくことになる。
そこで、自分より年上の男性から話しかけられて、一緒に、ぶどうの農作業をしたりして、その後、誘われて遊んだりしていた思い出がある。
1対1ならなんとか、やりとりが出来た。
ソフトバレーなどもやったりしていた思い出もある。
しばらくして、作業所へ行くことになったり、メールなどの発展で障害者の女性と関係が持てるようになったりしたことで(後に二人の障碍者の女性からボロクソに言われてフラれる事になる)その男性に誘われることが苦痛に思えてきてしまった。
その男性の人が頻繁に電話をしてきたり、何処かへ行かないか、と言われても上手く断れず、車に乗せるのがガソリンなどの経費も含めつらかった。
例えば、灯油を買いに行くのに付きあわされたりすることも苦痛に思えてきてしまいました。
それに、自分自身1対1ならなんとかなったけど、その人と違う人が入ると全く話に参加出来ないということがあって、もう付いていけないと思うようになってしまった。
そして、電話に出るのを辞めて、関係は破滅してしまった。
今思うと、人間関係は確保したほうがよかったかもしれない。
でも利用されるだけだったかもしれないので、なんともいえない。
そして、その通所型フリースペースにもいかなくなった。
ビデオチャットで孤独を癒そうとしてもコミュ障と引っ込み事案だった
その時期にビデオチャットみたいな多くの人が集まって、カメラで話しているみたいなサイトがあった気がする。
おそるおそる、そこに出没していたことがあります。
自分は大抵顔を隠していた。
人が怖いのにそんなことをしていたのは余程、孤独だったんだと思う。
思い切って顔を出してやったこともあって、ある、学生みたいな人がいて、「可愛い」とか言われて、電話番号を教えてきた。
自分て、実は可愛かったんだと、感動した。
しばらく後におそるおそる電話を掛けてみた。
最初は出なくて、後で掛かってきて
「誰?」て聞かれて、「チャットで」とか言ってたら「オニギリ君?」て言われて、「違う」て言ったら、「あ、いいや」て言われて電話を切られてしまいました。
オニギリ君て誰なんだ、ていうか、この電話番号は誰の電話番号なんだろう、と思った。
今振り返ると、よく知らない学生に電話したと思う。
多分、ひきこもりで、現実がよくわからなくなってたんだと思う。
常連の人で絡んでくれる人は出来たけど、顔を見せる勇気は無かったし、話題に入れなかったり、ペースについていけなかった感じはする。
専門学校でパソコンの文字入力は出来たけど、頭の出来が普通の人とは違ったのかもしれない。
でも一人、加護ちゃんの写真を使ってる人が僕に好意を寄せる感じのことを言っていた。顔を見せていないが、誠実な僕に心惹かれていたのかもしれない。
いつのまにか、ビデオチャットへ行かなくなったら、当然、そこで会うこともなくなった。
派遣の仕事3日でクビ(面接しようとしたら派遣会社に登録していた?)
引きこもり中、ハローワークにいったことあった。
世間知らずだった僕は、面接しようとして、応募していて、面接だと思って呼び出されたら、派遣会社に登録していたようです。
後日、電話が掛かってきて、食品関係の製造の仕事だったけど、3日で派遣の人から電話が来て「仕事が遅い」という理由でクビになってしまいました。
しかし、他に使えない人がいたせいか、再び僕に電話が掛かってきて、また仕事してくれと言われてました。
元々短期の仕事で3か月くらいの仕事だった。
正直、仕事てキツイし、無理だと思った。
でも、奇跡的に期限まで仕事をしましたね。
また派遣会社から電話が掛かってきて
「車の誘導の仕事あるけど、どうですか?」
みたいな電話がかかってきて
「それはちょっと出来ないかもしれない」
みたいに言ったら
「これから、自分で仕事探して下さい」
と言われて、それ以降、二度と電話がかかってくることはなかった。
というか、派遣とかよく分かってなくて、なんで電話かけてくるんだろう?とか思ってた。
自分て昔からヤバかった。
まとめ
自分で書いてて、かなり、ヤバいなと思った。
でも、友達といえるかはわからないけど、こんな社交不安、緘黙の僕にも出会いはあったけれど、それを継続することは出来なかった。
少しだけ勿体ないと思うこともある。
振り返ると、仕事関係でスタートラインにすら立てないチキン野郎なんだと思う。
悔やまれる人生になりつつあるけれど、今は、ブログも頑張っている。
明日の僕に期待してくれ、としか言えない
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