今まで過去の自分のネタを控えていたのは、自分がカッコつけたかったという思いや、全てをさらけだして見下されたり、傷つくことをネット上でも言われたら、傷つくかもしれない、そんな事を無意識に恐れていたんだと思う。
でも、もう、そんな恐怖を超えたいと思って、頑張ろうと思った。
専門学校時代は正直、それほど、言いたいことは無いと思っていた。
しかし、振り返ると意外とあったので、ブログにしたい。
今、専門学校時代を振り返ると、僕以外にも発達障害ぽい人は居たと思う。
おそらくは、東京などの都会へ進学に行けない人、就職できない人も、僕のようにその専門学校へ流れ着いて来たんだと思う。
後日、この事実を知らない、精神保健福祉センターの相談員さんに「なんで専門学校卒業した後、就職しなかったんですか?」と聞かれることになるが、その当時、自分でも分からなかった・・・
まるで、社会を知らない社会不適合者の学生の受け皿として専門学校はそこにあったかのようだった・・・・
大学出の人には知り得ない社会構造がそこにあると思う。
- 高校で進路を決められなかった故にパソコン関係ぽい専門学校へ行った
- 入学当初は席が隣の人に話しかけれて一緒に帰っていた
- 女子が隣に座ってきたことがあるからチャンスだったのかもしれない
- 自業自得かもしれないけど孤独に幕が開けた
- 授業が分からず懸賞に応募や日記や読書をしていた
- 自動車免許も専門学校の時に所得、悔やまれる過去
- まとめ
高校で進路を決められなかった故にパソコン関係ぽい専門学校へ行った
何故、情報処理系のコースがある専門学校に行ったかというと、ただ単に高校で進路を決められないまま、卒業したせいだと思う。
高校は殆ど「無」という状態で過ごした。
中学で虐められ、それが尾を引いていたし、それ以前に小学校で既に恐怖心が植え付けられていた。
高校の時の担任に「お前なんて雇ってくれる会社あるわけねぇ」と言われた。
それを聴いていた、他の先生が後で僕に「大丈夫か?」と聞かれたことも思い出した。
高校の時の担任はアルコール中毒だったのかもしれない・・・・
そんな、情けない過去の自分の状態は中年になってしまった現在も、恐ろしい事に変わっていないと思う。
自分に出来る事は、せめてこの人生をブログとして、まとめることだと思ってブログを執筆しています。
話はそれてしまったのですが、なぜその専門学校へ行ったかというと単純に就職できそうもなかったので、とりあえず、資格でもとって自信を付けろ、という感じだったと思う。
両親は教育熱心ではなく、よく考えてはいなくて、それをオッケーしてくれたようです。
その専門学校はお金さえ払えば自分でも入れそうなところだったのです。
金銭的なことを言えば、貧乏な親にとっては大変な事だったと思います。
しかし、地方なので行ける学校は限られていて、通うのも割と大変だった。
僕は、完全なコミュ障として、専門学校でも時に、挙動不審となっていた。
学校の先生も「病院とかに行った方がいいんじゃないか?」と言われたり、学校の支配者のような人に売店で授業で必要なものをなかなか買えずにいるところを見られて「こういうのはなかなか治らないから、困るよ」と言われて、泣きそうになった。
家にパソコンもなく、理数系でもなく、パソコンが好きな訳じゃないので、授業が分からなかった。
プログラムや簿記は特に意味不明だった。
重要なプログラムの授業の先生の授業が特に意味が分からない感じだった。
なので、専門学校に行ったのに殆ど身にならなかった。
ブラインドタッチを覚えたくらいだった。
入学当初は席が隣の人に話しかけれて一緒に帰っていた
最初の時は、隣の席に太って背が高い人がいて、その人が話しかけてきて、一緒に電車で帰ったりしていた。
確か、ファイナルファンタジーの何かのゲームを貸してもらった気がする。
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しかし、暫くして言われてしまったのです
「普通、ゲーム貸したら、ゲームの話とかするだろ」
と。
そして「そろそろ返してくれないかな」
と言われて、返すと
「人にモノを返す時、普通、袋とかに入れて返すだろ」
と言われていた。
そして、挙句の果てには
「いつになったら、慣れるんだ、暗すぎる」
と言われてしまい、関係が怖くなってしまいました。
帰宅部、友達と無縁な自分には常識が分からないし、人のコミュニケーションがハードル高すぎたと思い、傷ついて戦意喪失。
その人ともう一人の男性と3人でカラオケに行ったが全く歌わず「つまらないやつだな」と言われたりした。
それにより、また、孤独へまっしぐらになって、懸賞に応募したり、虚無の世界を漂っていた。
女子が隣に座ってきたことがあるからチャンスだったのかもしれない
専門学校には女子がわずかしかいなかった。
一人はメガネっ子で人付き合いが苦手そうな人や、社会人を経験したような人や、3人くらい今風の若者て感じの女子もいた。
ある日、今風の若者の女子が隣に座ってきた時があった。
「そこに座ると思わなかったなあ」とある女子が言う。
しかし、僕は隣に女子が座っても話すことは出来なかった。
今思えばチャンスだったのかもしれない。
卒業にゲームを作るグループとかいうので、女子二人と一緒のグループになったけど、コミュ障により、ゲーム制作にかかわらなかった。
そして、卒業まじかに僕と同じ漢字一文字がある男子がいて、その文字について、〇て文字が嫌い、と言っていた。
今思うと聞こえるように言っていたのに、女子達は僕に惚れていて、ターゲットにしていたのかもしれない。
麗しき、女子達の時間を無駄にしてしまったと思った・・・・
自業自得かもしれないけど孤独に幕が開けた
ハワイ旅行といのもあったけど怖くて行けず、卒業パーティーみたいものも、地方なので車で来てしまうしかなくお酒も飲めず輪に入る勇気も無く、一人で浮いてしまい孤独に専門学校の幕が開けた。
自分は一体、何をしていたんだろうと思った。
そもそもの原因は社交不安や緘黙だったりしたのかもしれない。
僕レベルにこじらせた人は注意した方が良いと思う。
若い時に壁を越えられないと人生棒に振ります。
授業が分からず懸賞に応募や日記や読書をしていた
家にはパソコンもなく、理数系では無い僕にはプログラムは勿論、CADや簿記が意味不明だった。
大金を払って訳の分からない授業を受けるという無益な日々を繰り返した。
そして、対人恐怖で具合悪くなったりしていた。
序盤に漢字検定3級に受かったのは覚えているけど‥
その他にも資格はとったけど、意味不明な資格をとっただけだった。
やっていたことは、もうすべてがダメだと思い、懸賞にひたすら応募していた。
人の目を気にせず、本屋でメモをして店員に注意されたり、学校に村上龍の「共生虫」を学校へ持っていたら発見され「お前、こんな暗い本読むなよ」と言われた。
確か引き籠りの本だった気がする。
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ダークな世界観に満ちて、学校のパソコンで日記を書いてプリントアウトして家に持ち帰って、これで学費の分、元を取った、と思い込もうとしていて、今もそうだけど、ヤバい人でした。
自動車免許も専門学校の時に所得、悔やまれる過去
自動車学校に通ったのは高校の卒業に近い時期からだった記憶があります。
そこで、視力が足りないことが発覚した。
それまで視力検査が悪くても、眼鏡を買う事すら出来なかった。
そして、不思議と周りにバレる事もなく、黒板の文字が見えないにも関わらず、眼鏡をせずに過ごしてきた。
その結果、勉強があまりできなかった。
逆に言えば、黒板が見えなくても、普通に高校へ行けるようなポテンシャルを持っていた。
きっと、視力さえ修正していれば、東京大学に行って東京生活を送り、今頃、タワマンに住み、深田恭子や長澤まさみさんのような外見の人と結婚していたかもしれない。
学生の時に、ドラゴン桜、と
この前、ブログに書いた、この本に出会っていれば、と今は思う
↓
オヤジはこの時も、レンズは大きい方が良いんだと、一方的に眼鏡を選んでしまった。
面倒は見てくれるかもしれないけど、子育てには向いていない親だと思う。
眼鏡屋の店員もオヤジの態度に怪訝な反応をしていて。
子供に選ばせろよて思ったのかも、その眼鏡は、究極にカッコ悪かった。
中学の時のいじめっ子も自動車学校にいたが「お前にはもう話しかけないから自由になれ」と言われた
まとめ
僕だけが、小学校後半から、引きずる、社交不安を引きずって、生きてしまっていた。
このリアル過ぎるブログを読んで、見下すことは神が許しても僕が許さない
今思うと、ネット活躍している元コミュ障、例えば「marimon」さんとかも、有名な大学を受かったり、元々の能力が違ったりします。
今までの人生をまとめた、まとめ記事にこのブログも追加するつもりだ↓